はじめまして。


BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。

コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。

花嫁の秘密 396 [花嫁の秘密]

エリックがちょっとした集まりのいくつかに顔を出して帰宅したのは、午前二時を回った頃だった。

さすがに今夜は何も起こっていないだろうと、まっすぐ自分の寝室へ向かったが、そう甘くはなかったようだ。

エリックはブラックの気配を背後に感じ、足を止めた。今夜はもうくたくただし、これ以上の面倒はごめんだ。

「なんだ?」思った以上に不機嫌さが声ににじみ出た。

「あの方のことで、ひとつ」

「今度はなんだ?」そばにいないときに限って、絶対何か問題が起こる。ブラックがわざわざ耳に入れてくるということは、あの女関連か。

「手紙が届きました」

「内容は?」誰からか聞くまでもない。サミーからの連絡が途絶え、痺れを切らしたジュリエットが再び動き始めたのだ。それでも一週間よく我慢したものだ。

「パーティーの誘いのようでした」勝手に手紙を読んだのか、それともサミーから聞いたのか。ブラックの事だ、サミーに手紙を渡す前に一度開封して何事もなかったかのように元に戻したに違いない。

「返事は?」

「まだです。どうするつもりかまではわかりません」

「わかった」ったく、頭の痛い話だ。サミーはもうかかわらないと断言していたが、どういう行動に出るかわかったもんじゃない。「そうだ、ブラック」エリックは立ち去ろうとするブラックを引き留めた。

「明日からサミーが主人だ」いまブラックを手放せば、こういった情報を耳打ちしてくれる者がいなくなる。けど、サミーには自分の手足となって動く者が必要だ。「言うなと言われたこと以外は報告してくれ。これがお前をサミーに譲る条件だ」

ブラックはそのまま立ち去るかと思ったが、わざわざ戻ってきた。「スパイみたいであまりいい気はしませんが、あの方を守るためですから条件は飲みます。おそらく契約違反にもならないでしょうし」

「どうせ中に目を通してはいないんだろう?」サミーが気にするから形だけ契約書を作ったが、報酬の額以外見るだけ無駄だ。

ブラックは返事をしないまま闇にまぎれた。ここに送り込んだときはまさかこうなるとは思いもしなかったが、結果としては悪くない。警戒心の強いサミーが自ら従者にと望んだ。引きこもりのひねくれものにしては、大した変化だ。

このままサミーのベッドに潜り込もうかと思ったが、今夜はあまりに疲れすぎている。それに疲れているからといって、手紙の返事をどうするのか問い詰めないという保証もない。

自分の部屋に入ると、上着を脱いでソファに身を投げた。あと五時間もすればサミーの機嫌を損ねることなく話を聞き出せるはずだ。朝食の席にはセシルもいるだろうし、焦ることはない。ただこのままひと眠りして、身支度を整えて朝食ルームへ行くだけだ。

エリックは目を閉じた。もう一秒も瞼を持ち上げていられなかった。

つづく


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花嫁の秘密 395 [花嫁の秘密]

「セシルは彼とうまくいっているの?」サミーは唐突に尋ねた。

こういう話は普段ならしないのだが、セシルを引き留めてしまっていることで、もしも恋人と会えずにいるなら申し訳ない。

「サミーでもそういうこと聞くんだ」セシルは意外だなという顔をした。訊かれて戸惑っているという感じはない。

「おかしいかい?」

「ううん」セシルは首を振った。「うまくいっているよ。しばらく会っていないけど、来週には会えると思う」

「それなら安心だ。僕たちのせいで不都合が生じているなら、遠慮なく言ってくれてかまわないからね」エリックにあっちに行けこっちに行けと指示されて、いくらアンジェラのためとはいえ振り回し過ぎている。

「僕たちね」セシルはニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべた。

「セシルの言いたいことはわかるよ。でも実際色々と巻き込んじゃってるからね」そろそろエリックにひと言釘を刺しておくべきだろうか。動ける人間ならたくさん抱えているだろうし、僕もいつでも動ける状態だ。セシルにばかり負担をかけるべきじゃない。

「そういえば、結局調査はどこまで進んでいるの?犯人はわかったの」

「エリックに任せているけど、ハンカチの出所はつきとめていたはず。あとは刺繍をした人物を探し当てると言っていたけど、そんな必要あるとは思えないね。犯人は一人しかいないんだから」

「やっぱり彼女が?」セシルが訊いた。意外でも何でもないけど一応尋ねたといった感じだ。

「ただの悪趣味ないたずらだったとしても、彼女以外には思いつかないな。だから調査なんて無意味だし、さっさと行動に移すべきだ。クラブの買収なんかよりよっぽど急ぐべき案件だ」エリックの中の優先順位がどうなっているのかさっぱりわからないけど、同時進行でどうにかなるような問題ではない。それとは別にブライアークリフの事も探らなきゃいけないし、となると全部同時進行で進めるしかないか。

「きっちり証拠を掴んで、確実に仕留めたいんじゃないかな。と言っても、僕も早く決着して欲しいと思ってるけどね。それはそうと、リックがなぜ髪を切ったか知ってる?僕びっくりしてすぐに聞いたんだけど、答えてくれなかったんだ」セシルは無邪気そのものの顔で訊いた。サミーなら当然わかるでしょといったふうだ。

「彼のすることを僕が理解できると思う?」サミーはうんざりと言い返した。エリックは僕が切ろと言ったから切ったと言う。もちろんそんなことは言っていない。どういうつもりなのか聞いてもまともな答えが返ってくるはずもないし、聞いたところで無意味だ。

「むしろサミーにしかわからないと思ってる」セシルはきっぱりと言って、何杯目かの白ワインを飲み干した。「リックがいつからあの髪形をしていたのか知ってる?お父様が亡くなった頃からだから、十七年くらいかな、いまさら切るなんて考えられないくらい前だよ」

「別にずっと伸ばしていたわけじゃないだろう?髪型が変わらないのは僕だって一緒さ」けど、なにかこだわりがあったのは確かだ。それをたかが僕の言葉ひとつで切ってしまったなどと、考えたくもない。

「そう言っちゃうと僕だってそうだけど、リックには何か理由があるみたいでさ。たぶんお父様となにか関係あるんだと思う」セシルはそう言って、炉棚の上の時計に目をやった。そろそろ食事にしたいとう合図のようだ。

随分飲んだけど――しかもビスケットの壺は空だ――夕食が入る隙はあるのだろうか。もちろんセシルにはある。僕もまああと少しならどうにかなりそうだ。

つづく


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花嫁の秘密 394 [花嫁の秘密]

「つまり、リックは僕に働けと言いたいわけだ」サミーの説明を受けて、セシルは溜息交じりにこぼした。

僕だって、将来の事を考えていないわけじゃない。けど特別やりたいこともないし、ありがちな法律家への道には進みたくない。そもそもそんな頭ない。それにコートニー家は他とは違う事情を抱えている。リックみたいに勝手ばかりしていられない。

「もし僕が、セシルの力を借りたいと言ったら、少しは前向きに考えてくれるかい?もうここまできたら引き下がれない。エリックは買収を押し進めるだろうし、僕はクラブのオーナーになる。そんな時、君がいてくれたらとても心強い」

「サミーは僕が役に立つと本気で思っているの?」だとしたら買いかぶり過ぎだ。僕は帳簿やなんかのことはさっぱりだし、面倒な客をあしらうこともきっとできない。

「どうして役に立たないと思うんだ?君にはシェフに直接口出しできる立場に就いて欲しい。美味しいアイスクリーム、食べたいだろう?」

サミーは冗談を言っているの?「そりゃあ美味しいアイスクリームは食べたいよ。でも、どういうこと?」

「オーナーが変わったからといって、自分たちの好きにできるわけじゃない。でも唯一僕たちの好きなようにできることがある。ゲームは頭を使う。ほかのやつらはどうか知らないけど、僕は甘いものを食べたくなるんだ」サミーはにっこりとして、ガラスの器からドラジェをひとつ取った。薄いラベンダー色の砂糖に包まれたアーモンド菓子だ。

「ローストビーフは確かに美味しかったけど、食後の甘いものはちょっと物足りなかったね。例えばさ、<デュ・メテル>のチョコをつまみながらゲームをする、なんてできたらいいよね」会員は高い入会金と会費を払っているから、食事はタダで好きなだけ食べることができる。他のクラブみたいに――聞いた話だけど――ビュッフェスタイルにしたらいいのに。デザートだけでも。

「そう、そういうこと。セシルにはどんどん意見を出してもらって、それを実行して欲しい。まずは<デュ・メテル>に交渉に行くかい?」

サミーはいたって軽い口調で言ったが、本当に僕に“甘いもの担当”の指揮を執らせるつもりだ。きっとまだずっと先のことだろうけど、僕もこの辺で将来の事きちんと考える必要がある。

サミーなら必ず、その手助けをしてくれるはずだ。

「ところで、共同経営者はどうしてリックじゃないの?S&Jの人って探偵だけど、半分は法律関係の仕事もしているんじゃなかったっけ?」セシルは気になっていたことを尋ねた。

「そうみたいだね。エリックは大袈裟に言っていたけど、彼らには――いやステファンの方かな、買収費用を出させようとしているみたいだ。その代わりにジョンを経営者の一人に加えてくれって」僕には断る権利はないけどねと、サミーは肩をすくめた。

「ああ、ステフの方は金持ちなんだっけ。ジョンはその……」かなり訳ありで裕福とは言い難い。

「ジョンの方はまだちょっと迷っているみたいだったけどね。それに、クィンの出す条件がまだはっきりしていない。エリックが彼の機嫌を損ねなきゃいいけど」

確かに。リックは人を苛立たせる天才だし、もしかすると暴露記事なんかで相手を攻撃しかねない。けどサミーのためにプルートスを手に入れようとしているなら、そうそう下手なことはしないだろう。

つづく


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花嫁の秘密 393 [花嫁の秘密]

エリックが一方的なのはいつものことだけど、今回は少々やり過ぎだ。

セシルに大学をやめろという権利は、ロジャーならまだしもエリックにはない。まあ、言うだけなら自由だが、実際に行動に移しかねないから恐ろしい。ある日大学へ行ったら自分の居場所がなくなっていた、ということもあり得る。

さて、僕はどこまで口を出していいのか。僕も兄であることには変わりないし、なによりセシルが助けを求めている。

「向こうの名物って何だろう。ハニーは美味しいもの食べているかな?」部屋でひと休みしたセシルが居間に戻ってきた。晩餐までの時間二人で一杯飲むことにしたのだ。

エリックは今夜は食事は外で済ませてくると言って、六時ごろ出掛けて行った。正装をしていたからどこかに招かれているのだろう。予定をいちいち言う気はないらしい。だからと言うわけではないが、プラットに言ってワイン庫からリースリングを持ってこさせた。程よく冷えていて、暖かい部屋で飲むにはちょうどいい。

「ハギスかな。僕は苦手だけど」

「ああ……、甘いものは?」どうやらセシルも苦手のようだ。

「あまり覚えていないけど、チェリータルトとスコーンは美味しかったな」滞在中はのんびり食事はできなかったし、そんな気分でもなかった。問題を片付けるためとはいえ、アンジェラから遠く離れた場所へ一人行くのは気乗りしなかった。だとしても、クリスの代わりに役目を果たすことがアンジェラのためでもあるのだから、行かないという選択肢はなかった。

「さっきのチェリータルトも美味しかったよ。どこで見つけたの?いま新しい料理人を雇うのは大変だって聞いたけど」セシルはくつろいだ様子でワインを口に運んだ。エリックがいたらこうはいかなかっただろう。

「ん、ちょっとね。試用期間を設けてるけど、合格かな?」僕にだってエリックほどではなくても人脈はある。

「僕が決めていいなら、合格だけど、サミーはどうだった?」セシルは子供がおやつをねだるときの顔をしている。セシルが合格だと言うなら、このまま雇って問題はないだろう。

サミーは笑顔を返した。問題は菓子職人を雇うかどうかではなく、エリックがなぜセシルにあんなことを言ったのか。僕の説明でどうにかなるとは思わないけど、セシルはもっと詳しく知るべきだ。

「昨日、プルートスへ行ったんだ。僕はジョンと食事をしただけだけど、エリックはステファンとクィンとの会見に臨んだ」

「それって……」

「そう、エリックはとうとうあのクラブを手に入れるために動き出した。ステファンとジョンを共同経営者に抜擢したらしいよ、僕に何の相談もなく」思い出すだけで腹が立ってくる。エリックはあれこれ説明していたけど、駅を作るという話も然り、決める前に話すことはできたはず。

「それと僕に何の関係が」セシルはワインを飲むのをやめて、ビスケットの入った陶器の器に手を伸ばした。

「君もそれに巻き込まれているってこと。エリックは僕だけじゃ無理だって思っているんだろうけど、仕事をする相手を選ぶ権利は僕にだってあった」それにまだあのクラブが欲しいかどうかも、はっきりとした答えが出ていたわけじゃない。

セシルが巻き込まれて戸惑っているように、僕も戸惑っている。ついでに言うなら、ジョンも戸惑っていた。そんな状態でクラブを経営できるわけない。

つづく


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花嫁の秘密 392 [花嫁の秘密]

もっと荒涼とした場所だと思っていた。

石造りの屋敷は外から見ると寒々とした雰囲気があったものの、中に入ってみるととても暖かく調度品ひとつひとつに温かみも感じられた。土地柄日が暮れるのが早く、庭を見て回るのは明日になってしまったけど、きっと想像した通りの素敵な庭園が見られるはず。

アンジェラは金縁のティーカップをそろりと持ち上げた。華奢な持ち手がいまにもポッキリ折れてしまいそう。紅茶はほんのりりんごの香りがした。

長旅の末の出迎えが二人だけなのを見たとき、てっきり歓迎されていないものだと思った。寒いから仕方ないわと思っても、クリスの足を引っ張っているという気持ちは拭えない。もっと早くに、例えば問題が発覚した時すぐにここへ来ることもできた。けれどそうできなかったのは、言うまでもなくすべてわたしのせい。

「奥様、お部屋の支度が整いました。すぐにでもご案内できますが――」

出迎えてくれたうちの一人、家政婦長のミセス・ワイアットが脇のドアから再び姿を見せた。屋敷の中へ案内してくれて、紅茶とスコーンを持ってきてくれた時以来だ。

そしてアンジェラはいまそのスコーンにかぶりついている。遠慮なく大きな口を開けて。一旦スコーンを皿に戻すことも考えたが、かえってその方が無作法な気がしてそのまま食べることにした。

たっぷり時間をかけて味わって、カップの紅茶を飲み干して、ミセス・ワイアットに向き直った。

「まだここにいるわ」もしかするとクリスも来るかもしれないし。休む間もなく書斎に行ってしまったけど、たぶんもう少ししたら戻ってくるはず。こんなに美味しいスコーンを食べ逃すなんて、もったいないもの。「ねえ、ミセス・ワイアット。あとで屋敷の中を案内してくれるかしら?」

「はい!奥様、もちろんでございます」ミセス・ワイアットはにっこりと笑った。ふっくらとした頬にえくぼが浮かぶ。お母様より少し若いくらいかしら。それともマーサと同じくらい?

「よろしくね」アンジェラも笑顔で返した。

ミセス・ワイアットは今回の訪問を心から喜んでくれている。受け入れられなかったらどうしようという心配も、杞憂に終わってよかった。と思いたいけど、まだ何も始まっていない状態では何とも言えない。

クリスが土地管理人と弁護士を交えてどんな話し合いをするのか、ここで待つしかないのかしら。わたしにもできることがあるはず。

せめて帳簿くらい読めたらと思う。兄たちと同じように学校へ行っていたら違ったのかもしれないけど、こういう生き方を選択したのは自分自身でいまさらどうしようもない。けど、勉強ならいまからでもできるのでは?クリスと一緒に帳簿を見ながら、少しずつ学んでいけば、いつかは一緒に難しい書類仕事もできるようになるかも。

アンジェラはため息を漏らした。できることといえば、刺繍や編み物くらい。踊るのは下手だし、歌も上手とは言えない。乗馬くらいはと、練習はしているけどポニーで庭をぐるぐるするくらいが精一杯。何でもできる兄たちがうらやましい。

「わたしって本当に役に立たないわね」ぽつりとつぶやいたとき、クリスが大股で部屋を横切ってこっちに来るのが見えた。手に何か持っている。

クリスは視線に気づいて、手に持っているものをサッと上にあげてみせた。「手紙はここでも読めると思ってね。クラーケンにも帳簿を書斎に運んだらここへ来るように言っておいたから、一緒にミセス・ワイアットのスコーンをいただこう」

あら。この素晴らしくおいしいスコーンはミセス・ワイアットが焼いたのね。あとで作り方を教わろうかしら。「ええ、一緒に食べましょ」

つづく


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花嫁の秘密 391 [花嫁の秘密]

クリスは書斎机に着き、目の前の報告書の束に目を落とした。その横にはこの数日で届いた手紙も置いてある。

クラーケンが書庫から数年分の帳簿を持ってくる間に、少しでも目を通しておくか。
なぜ書斎の本棚に置いておかないのか不思議だが、管理を任せきりにしておいた身としては不満を言える立場にはない。古びた絨毯やくすんだカーテンが記憶にあったが、すべて新しいものに変わっているのは、おそらくサミーの指示によるものだろう。

不満といえば、アンジェラは一人で大丈夫だろうか。部屋の支度が整うまで居間でゆっくりするように言ったが、知らない場所で落ち着けるはずもない。メグは荷解きが済むまで手は空かないだろうし、せめて弁護士が来るまでは一緒にいたいが、さすがにのんきに茶を飲んでいる場合でもない。

家政婦長のミセス・ワイアットに任せておけば、そう時間はかからず快適に過ごせるようになるだろうが、アンジェラも一緒だと事前に言っておかなかったせいで、少々手間取っている。

「旦那様、よろしいですか?」執事のアクロイドがおずおずと戸口に顔をのぞかせた。出迎えに手落ちがあったのではないかと、心配しているらしい。

「なんだ?」クリスは手紙を開封しながら返事をした。

「不足している使用人ですが、明日の朝には解消しそうです」

そんなものダグラスとメグがいればどうとでもなると言いたいところだが、クラーケンとフォークナーも今夜は泊まることになるだろうし、人手があるに越したことはない。それでも多すぎるのは困る。

「わかった。それはお前に任せる」クリスは顔を上げて、アクロイドを見た。以前とさほど変わってはいないが、髪の毛はやや後退しただろうか。確かダグラスとは面識があったはずだ。「今夜は人手が足りないだろうから、ダグラスを好きに使ってくれていい」

「ダグラスさんの力を借りられるとなれば、十分なもてなしができそうです」アクロイドの顔から不安の色が消えた。

もてなすのはアンジェラか。「アンジェラはどうしている?」

「はい。奥様は居間でワイアットさんお手製のスコーンを召し上がっていらっしゃいます」

ミセス・ワイアットは調理場にも入るのか?「料理人はいないのか?」クリスは訊いた。

「ああ、いえ、います。ワイアットさんのスコーンはこの辺でも評判なんです。きっと奥様もお気に召されるだろうと」アクロイドは慌てて説明した。人手不足とはいえ、さすがに料理人はいるようだ。

「それで、お気に召しているのか?」アクロイドの顔を見るに、聞くまでもない。アンジェラはきっと、にこにこしながらスコーンにかぶりついていることだろう。クロテッドクリームに果肉たっぷりのジャム。アンジェラはどちらを先に塗っていただろうか。

「ええ、それはもう」アクロイドは頬を緩めた。

そう言われて、このままここに留まっておけるはずもなく。「では、私もいただこう」

やるべきことを先送りにするのはよくないが、問題は一応解決している。それもこれもサミーのおかげだ。というわけでひとまず、愛する妻とミセス・ワイアット特製のスコーンを堪能するとしよう。

つづく


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花嫁の秘密 390 [花嫁の秘密]

ハニーの事となると、サミーは誰よりも兄らしくなる。リックが色々裏で手をまわしているみたいだけど、いったいどんな手を使っているのか、きっと知らない方がいいのだろう。

「それで?こっちではどうだったの?調べは進んだ?」セシルは好奇心いっぱいに尋ねた。いない間に美味しいものたくさん食べたに違いない。はっきり言って、物騒な話よりももっと楽しい話がしたいけど、調査が進んでいるのかも気になるところ。

「まあ、ぼちぼちな。それよりセシル、お前大学辞めろ。もう十分だろう?これ以上残って何をやる気だ」エリックはなんの脈絡もなく話を切り替えた。

「な、なに、急に」セシルは戸惑った。調査の進捗具合と、僕の大学の話に何のつながりが?

「エリック、いったいなんのつもりだ?」同じように困惑するサミーが、エリックに対抗するように固い口調で尋ねた。

「そ、そうだよ」セシルも小声で応戦する。

「どうせ彼氏がいるから残っただけだろう。いい歳していつまで兄の脛をかじるつもりだ」エリックはまるで聞く耳を持たないといった様子で辛辣に言い捨てた。面倒が増えたことで機嫌が悪くなったようだ。

「学費を出しているのはロジャー兄様で、リックじゃないでしょ」セシルは真っ赤になった。腹は立つが図星だ。

「いくらなんでも、そこまで口を出す権利はエリックにはないんじゃないかな。ほら、セシルは植物学を勉強するとか言っていただろう」サミーはあくまで冷静に、兄弟の間に――文字通り間に挟まれている――割って入った。

「バックス大佐のところにでも行きゃあいいだろう」エリックはにべもない。自分の思い通りに事を進めるためなら、弟もただの駒として動かすだけ。言うことをきかせるために、あらゆる手段を講じるだろう。

セシルは助けを求めてサミーを見た。兄という権力を振りかざし、傍若無人にふるまうエリックを止められるのはサミーを置いて他にはいない。

「アビーのお父上は貴族嫌いじゃなかったかな?結婚も渋々認めたけど、下手なことをすればなかったことにされかねないよ。そうなったら困るのはエリックだ。ロジャーが怒ったらさぞかし恐ろしいんだろうね」こういう言葉を、一切の煽りもなしに淡々と言い切るサミーに恐ろしささえ感じる。けど、いまのエリックにはこのくらいがちょうどいい。

「そんな心配はいらない。それほど反対なら、付添人がいるとはいえ一人でうちの屋敷に滞在させるはずないだろ」エリックの口調が多少和らいだ。ロジャーの怒りを浴びるのだけは、さすがに遠慮したいらしい。

「お母様がいるから。それにバックス大佐、じゃなくてバクストン教授は調査に出てて家を空けているはず」アビーの父親は植物学の教授で、調査のため季節ごとに色々な場所へ出かけている。クリスマスに家族と過ごさないのは馬鹿げているけど、けっしてアビーと不仲だからではなく、研究熱心なだけらしい。

「ハニーが秘密を打ち明けたから母様はロジャーのところへ行っただけで、本当ならフェルリッジにいたはずだ」エリックはぶつくさ言って、ティーカップのウィスキーを飲み干した。それ以上飲む気はないようで、不貞腐れたように椅子に深く沈み込んだ。

「ああ、そうだったね。なんだかすごく遠い昔の話みたいだ。アンジェラはこれからどうするつもりだろう。そのうちアビーに打ち明けるにしても、メグには?」サミーがうまく話を切り替えた。

当然セシルはそれに乗っかる。「そっか、メグも知らないんだっけ?」

「メグはそういうのには無関心なんだ。けど、いまはどうだろう。ハニーが男装するための衣装を揃えたのは誰だと思う?マーサも手伝っているだろうが、メグも協力しているはずだ」エリックはひじ掛けに寄りかかって頬杖をつき、真剣な顔つきで自分がすべきことを考え始めた。

「もう気づいたか、アンジェラが打ち明けたか、それとも知らないままか、どれだろうね」サミーがそっと横目でエリックを見る。

「戻ってきたら聞いてみるさ」それしか他に方法はないだろう、とエリックが言う。

「まあ、長くてもひと月くらいで戻ってくるだろうし、僕もアンジェラと直接話をしてみる」サミーがそう言った途端、エリックが素早く見返したのをセシルは見逃さなかった。

この二人の関係がどうなってるのかさっぱりわからないけど、とにかくリックがサミーに夢中になっているのだけは確かだ。だからこそ、あれこれ理由をつけてここに長く居座っているのだろう。

つづく


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花嫁の秘密 389 [花嫁の秘密]

サミーは苺の果肉の入ったアイスクリームをひとすくいして口に入れた。なかなか美味しい。

「それで?アンジェラは無事に出発できたの?」もしそうでなければ、この場にセシルはいなかっただろう。計画通りに事が進んだからこそ、ここにいる。

「それがさ、大変だったんだよ。リックには馬車の中で少し話したんだけど――」セシルがマフィンにかぶりついたので話が中断した。

「ハニーは男装をして屋敷を出たらしい」エリックが代わりに続ける。「それでクリスと揉めたらしい」

男装?なぜという疑問しかない。

「ソフィアに打ち明けたことと関係あるのかな?もしかしてアビーにも、もう?」もしも秘密を知る者が増えたなら、早めに把握しておきたい。それによって自分が対処すべきことも変わってくる。

セシルはマフィンを紅茶で喉の奥へと流し込んだ。「ううん、アビーにはもう少しあとでって母様が。男装をしたのは、目くらましって言ってたけど、前から衣装は揃えていたみたい」

「前から?てっきりお前が変装用の衣装を用意したのかと思っていたが……」エリックの心配の種がまた増えたようだ。難しい顔をして黙り込んだ。

アンジェラが衣装を用意したのは、おそらく今回の旅とは無関係だ。だとしたら、いったい何をしようとしていたのか。あの子は突拍子もないことを思いつくから、考えがわかるとしたら実の兄たちしかいない。

「ハニーはたぶんまだ諦めていないな」エリックが呟いた。

「諦めてない?ああ、そういうことか」セシルはようやく合点がいったと、呆れ口調で言った。「ハニーはしつこいから仕方ないよ」

アンジェラの粘り強さには完全に同意だと、サミーは頷いた。「二人とも説明してくれるかな」おおよその見当はついたけど、まさかという気持ちの方が大きい。もしあの事件の事なら、一人でできることなどないからだ。

エリックはメレンゲをひとつ口に放り込み、深くため息を吐いた。「ハニーは黒幕探しを諦めていない。それは想定の範囲内だが、問題はクリスと手を組んでいるのかどうかだ」

「ハニーの事だから、自分でどうにかしようとしているんじゃない?」セシルが言った。食べかけのエクレアでアイスクリームをすくっている。

「そもそもクリスは事件は終わったと思っているだろう。僕が犯人を撃ち殺したから、下手に探ったりはしないはずだ」探ることで僕だけでなく、アンジェラにも火の粉が降りかかるから、慎重にならざるを得ない。

「いや、クリスはずっと疑っていた。S&Jにも調査を依頼している。あらかじめ断るよう言っておいてよかったよ。けどクリスマスに届いた箱のせいで、疑いがはっきりとした形あるものになった。俺たちが隠そうとしていたことにも当然気づいていて、ああっ!くそっ――クリスは意地でも真実を暴こうとするし、ハニーに手を貸すしかなくなる」

エリックは苛立ちもあらわに立ち上がると、キャビネットの前の飾りワゴンからデキャンタを取って戻ってきた。中身はなんだろう。減っても、気づけば当然のように満たされているけど、たまには酒の在庫リストに目を通しておいた方がよさそうだ。

「手を組んでいると?」エリックが座るのを待って、サミーは訊いた。

エリックは空のティーカップに琥珀色の液体を注いだ。酒を飲むには早い時間だが、見ようによっては紅茶に見えなくもない。「二人でちゃんと協力すればいいが、クリスにハニーを抑えられると思うか?今回ラムズデンへ行かせたのはよかった。これでしばらくは身動き取れないだろうから、その間に対処する」そこまで言って、ようやくカップに口をつけた。

「それで思い出したけど、あの屋敷、現在の持ち主が不明だ。君、何か知っているんじゃない?」ブラックに調べさせようと思っている一件だが、エリックが何か知っているなら、いま確かめておいて損はない。

「あの屋敷?」セシルがアイスの器から顔を上げる。「って、どの屋敷?」

「持ち主は俺だ。辿ってもわからないようにしているから、調べるだけ無駄だ。それにもう屋敷はない」

屋敷はない、か。やっぱりエリックの仕業だったか。やけにあっさりと答えたのは気になるけど、知らないよりもましだ。

「例えばクリスが調べても、ジュリエットにも君にも行き着かないってことでいいのか?」サミーは念を押すように尋ねた。あの事件は闇に葬るのが誰にとっても望ましい。

つづく


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花嫁の秘密 388 [花嫁の秘密]

アンジェラを無事ラムズデンに送り出す役目を果たしたセシルが、ようやくリード邸に戻ってきた。

「いやあ、まさかここを我が家のように思う日が来るなんてね」セシルは大げさに言って、再会できた喜びのしるしにサミーと軽く抱擁した。

「お前は向こうに戻ってよかったんだぞ」その脇でエリックが言う。駅まで迎えに行っていて一緒に戻ったところだ。

本来なら迎えなど必要ないが、サミーが朝からやけにそわそわしてセシルの帰宅を待っているのだから、適当に馬車を拾って帰って来いと言える状況でもなかった。まあ、ついでに先に話を聞いておこうと思い立たなければ、わざわざ俺が出向くこともなかっただろうが。

「リックこそ、まだここにいるとは思わなかったよ。うちの屋敷は開けたんだよね?」脱いだコートを従僕に手渡し、サミーと並んで居間へ向かう。

「ああ、ロジャーももう少ししたら出てくるだろうし、使用人も揃えておくように言っておいた」エリックは後ろを歩きながら、サミーが昨日までより楽しそうなことに気づいた。まったく、俺よりセシルと一緒の方が生き生きしているとはね。やはりセシルにはのんきな学生生活をやめてもらう必要がある。

「だったら君は向こうに行ったら?」サミーが肩越しに軽く振り向いて、素っ気なく言う。

「俺はあそこに居ついたことはない。たまに顔を出すからいいんだ」元々ひとつの場所にとどまるのは苦手で、十八歳の時にグランドツアーに出てからというもの、生まれ育ったラウンズベリーハウスにさえほとんど戻らなくなった。アップル・ゲートには定期的に行かなければならなかったが、滞在しても一日程度だった。

「そうそう。それでリックが来ると、みんな競ってお茶を出しに来たがるんだ」セシルは楽しげに笑った。兄を揶揄うとはいい度胸だ

「ここでもそうだけどね。でも、メイドはクリスたちがこっちに出てくるまではほとんどが他所にいるから、お茶を出すのはしばらくプラットの役目だけどね」サミーが言った。

いつもの場所に腰を落ち着けた三人は、さっそく情報交換を始めた。昼食を食べた後だったが、セシルの帰還とあって、この屋敷で一番大きなティーポットにたっぷりの紅茶と、焼き菓子数種、エクレアにマフィン、チェリータルトにミルフィーユ、それとアイスクリームがティーワゴンで運ばれてきた。

ほんの二週間いなかっただけでこの歓待ぶりには、呆れずにはいられない。

「ちょっとやらせすぎたかな。新しく菓子担当の料理人を雇ったから、腕前を見ておきたいっていうのもあったんだ」しばらく自分の好きにできるとあってか、サミーは階下の使用人を数人雇い入れている。

「長旅で疲れたから甘いものがちょうどいいや。僕のお昼はハムサンドイッチだけだったから、お腹もまだまだ空いてるしね」セシルはお腹をポンと叩いた。

「向こうを出る時にバスケットを用意してもらわなかったのか?」エリックは尋ねた。ロジャーがそういった準備を怠るはずがない。

「用意してもらったよ。朝早かったから、まあ……」セシルは照れた様子で肩をすくめた。

「ちゃんと食べたんだな、朝に、昼の分も」ったく、育ち盛りの子供じゃあるまいし。

「まあ……そういうことかな。そ、それよりさ、僕がいない間こっちで変わったことはあったの?カウントダウンイベントはどうだった?」セシルはさっそく、マーマレードジャムの練り込まれたマフィンに手を伸ばした。

「人が多くて吐き気がした、くらいかな」サミーは思い出したくないとばかりに身震いをした。

間違いなくサミーは吐きそうな顔をしていたが、そもそも自分で蒔いた種だ。あのくらいで済んでよかったと感謝して欲しいくらいだ。

「それよりも、ハニーの事を話せ」エリックは言って、アイスクリームの器を手に取った。食べるならまずは早くしないと溶けてしまうアイスクリームだろうに。

つづく


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花嫁の秘密 387 [花嫁の秘密]

駅の周辺は想像していたよりも栄えていて、商店と住宅が立ち並ぶ通りを抜けると煙突から煙を吐き出している工場がいくつか点在していた。それを過ぎるとひたすら牧草地が広がっていて、いまはなだらかな丘を登っている。

「ハニー、もしかして緊張しているのかい?」

そう尋ねられて、アンジェラは隣に座るクリスに目を向けた。窓の外は冷たい風がヒューヒューと魔女の悲鳴のような音を立てている。

「少しだけ」アンジェラは正直に答えた。生まれてこの方、こんな遠くまで来たのは初めてなのだから仕方がない。自分ではもう少し気楽に臨める旅だと思っていたけど、駅で出迎えたクラーケンを見たときその考えは間違っていたことに気づかされた。

今回の問題が起きた一因には、クリスがラムズデンへ行くのを先延ばしにしていたこともある。それは紛れもなくアンジェラのせいで、おそらく問題が起きなければまだもう少し先になっていただろう。

アンジェラが同行することになったのも、クリスマスに物騒な贈り物が届いたからで、急遽出迎えることになったクラーケンがこれまで不満のひとつもなかったかのように、会えただけで感激していたことを思えば、自分のここでの役割を考え直して当然だ。

「屋敷へ着いたら、荷解きをしながらゆっくりしているといい」クリスは革の手袋をしたままの手で、アンジェラの膝にそっと手を置いた。

「クリスは?」アンジェラは尋ねた。でも、聞くまでもなくクリスのすべきことは決まっている。

「私は弁護士を交えて事の詳細と今後の対応を話し合う。サミーが先に対処してくれていたから、ほとんど報告だけだろうけど、モリソンの処遇もあるからな」

「モリソンて人、見つかったの?」

「ああ、国境付近で捕らえたらしい。このまま警察に引き渡してもいいんだが、妻子のことも考えてやらないと。フォークナーがモリソンの妻から話を聞いているから、それを聞いてから決めようと思う」頭の痛い問題だと、クリスは渋面を作った。こんな顔はアンジェラの他には見せられない。

アンジェラはクリスの右腕をさすった。

クリスは難しい決断を迫られている。なるべく穏便に事を収めたくても、生活を脅かされた村人は黙っていない。クリスがモリソンに厳しい罰を下すことを望むに決まっている。

「わたしにできることはある?」

「たくさんあるよ。まずはこうしてそばにいてくれること、それから村人が屋敷に突撃してきたら、熱い紅茶とショートブレッドでもてなしてくれるとすごく助かる」

クリスは冗談のつもりで言ったのかもしれないけど、十分にあり得そうな状況に、アンジェラは侯爵夫人としてどんなふうに対応すればいいのか真剣に考え始めた。

馬車が入口の門を抜けると、クリーム色をした屋敷が見えてきた。石造りの屋敷は二階建てで、窓が規則的に並び、四本の円柱が正面玄関の張り出した屋根を支えている。

二台の馬車が連なるようにして水の出ていない噴水の周りをまわって、玄関ポーチの前に止まった。

出迎えた使用人は二人。

もしかして、歓迎されていないのかしら。

つづく


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