はじめまして。


BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。

コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。

花嫁の秘密 413 [花嫁の秘密]

ブラックがリード邸の正門に到着したとき、すでに雨は止み、屋敷は薄もやに包まれていた。クリスマスの朝もこんな感じだったのだろうか。これなら闇に乗じて玄関先にプレゼントを置くのも簡単に思えた。

ミスター・ヘイズに礼を言い、通用門から中に入った。当然正門は閉じられている。ぬかるみを避けて屋敷の裏手に回った。

時間までは告げてないが、俺がここへ来ることは知らせてあるはずだ。勝手口から入り、入口に外套を引っかけると声のする方へ向かった。

「ブラックさん、ずいぶん早いですね。どうやってここへ?」ちょうど談話室から出てきたグラントが、にこやかにブラックを出迎えた。

グラントとは先日帳簿を取りに来た時に顔を合わせている。ダグラスの足元にも及ばないが、副執事をしていて留守の間の屋敷を任せられているようだ。

「荷物と一緒に運んでもらったのさ。サミュエル様は?」ブラックは荷物と一緒に運ばれてきた自分を思い出して苦笑いをした。かなり窮屈だったが、そう不快な旅でもなかった。

「まだおやすみです。遅くまで調べ物をすると言っていましたけど、朝食はいつも通りの時間で伺っています」いつも通りの時間がいったい何時なのかは知らないが、その時間が来ればグラントが教えてくれるだろう。

とはいえ、到着したことは告げておくべきだろう。本来なら夜のうちに着いて、ここですべきことの話し合いができていたはずだ。けど、そもそもあの人は俺にここで仕事を与えてくれるのだろうか。

「ブラックさん、熱いお茶でもいかがですか?」グラントが談話室へと促す。

「あとでいただくよ。荷物を置いて、サミュエル様に到着を告げてくる。それから、ブラックでかまわない」

階上は静まり返っていた。主人が不在の屋敷の使用人たちの朝はいつもよりものんびりしたものだ。サミュエル様は使用人たちの手を煩わせることもないから余計にだ。

部屋のドアが少し開いている。珍しい、というよりもありえない。もう起きているのだろうか、灯りが漏れている様子はないが。

ブラックはそのままドアを押し、部屋に足を踏み入れた。むっとするような匂い、乱れたベッドに横たわる肢体。娼館の用心棒時代こういう場面はいくらでも見た。

つまり、一人でここへ来たがっていたのはこのためだったというわけだ。相手はもう去った後か。

見慣れているはずの光景でも、嫌悪感を抱かないわけじゃない。エリック様との関係は?そう訊ねたい衝動に駆られたが、黙って引き下がるだけの分別はある。

この男に仕える選択をしたのは間違いだった。

「マーカス……」ふいにかすれ声が聞こえた。顔はベッドの足元側にあって、ブラックの方からは見えない。けれども何と言ったのかは聞き取れた。

まさか相手がよりによってあのマーカス・ウェストとはね。いったいどんな顔で向こうに戻る気だろう。

「み、ず……水を――」呻くように言う。

いくら腹が立っていても、サミュエル・リードは契約上俺の主人だ。水を持って来いと言われれば、持っていく。

部屋を横切りコンソールの上の水差しを手に取りグラスを満たした。部屋にはかすかに酒の甘ったるい香りも混ざっていたが、飲んだのはベッドの上で伸びている主人かすでにこの場にいないマーカス・ウェストか。

ブラックはサミーの目の前にグラスを差し出した。手を伸ばすでもなく、ブラックは仕方なしに口元にグラスをつけた。主人はようやく顔を上げて、そこにいるのがマーカス・ウェストではないと気づいたようだ。

つづく


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花嫁の秘密 412 [花嫁の秘密]

何度目か、マーカスはサミーの中に解き放った。
それからふいに飽きたとばかりにベッドから出ると、部屋の隅に置いてあるキャビネットの時計に目をやった。

そろそろ出るか。

足元からシャツを拾い上げて袖を通す。いつ脱いだのか、最初はシャツを着たままだったが、正直ここまでするとは自分でも思っていなかった。

サミュエルは少し前から意識を失っている。ベッドの端から腕をだらりと垂らし、ぴくりともしない。しばらくは目覚めないだろう。

マーカスは上掛けをサミーの背中に掛けると、汗で湿る髪を顔から払った。サミュエルのいい所は顔だけだと思っていたが、その考えは改める必要がありそうだ。背中の傷さえなければもっと早くに気づくことができたのに、こいつの父親のせいで多くの時間を無駄にした気がしてならない。

とはいえ、あのまま追い出されずにいたとしてサミュエルとの関係を続けていたかというと、きっとそんなことはなかっただろう。そのうち飽きて別の場所へ移っていたはずだ。けど自分で出ていくのと追い出されるのとでは話が違う。

いつの間にか雨音は消えている。足元はぬかるんでいるだろうが、雨が止んだのは好都合だ。

さて、今後どうしようか。

このまま今夜の事は忘れて、いままでのように次の屋敷へ潜り込むか。コンサルタントというのはなかなか面白い仕事だが、そろそろ自分で動くのはやめて人を送り込むだけにするという道もある。女の相手も面倒になって来たし、事務所の近くにでも住まいを借りてサミュエルの相手を探るというのも面白いかもしれない。

そのためには資金をどこからか調達する必要がある。一服しながら考えたいところだが、ひとまずここからは出なければ。

マーカスは慎重に部屋を出て、暗い廊下を進んだ。ところどころ灯りはあるものの、屋敷内を熟知していなければ、最初の階段で躓いていただろう。こういう屋敷は揃いも揃って迷路みたいな造りなのはなぜだろうか。

しかし、もうここに来ることはないのだからどうでもいいことだ。サミュエルもこんな場所に長くいようとは思わないはずだ。

サミュエルは自分の屋敷を持っていただろうか。投資がうまくいって資産はあるようだが、いまだに兄の世話になっているところを見るに、俺と似たようなものなのかもしれない。

今夜、あの忌々しい執事がいなくて本当によかった。あいつは俺を知っているし、仮に見つかれば、目的まではわからないにしても下手すると通報されかねない。

用心深くサンルームの窓から庭に目をやる。風は少し吹いているが雨はやはり止んでいるようだ。面倒だが、資金調達のため予定通りブレイクリーハウスに行くとするか。

マーカスは来た時同様、誰にも見られることなくリード邸を後にした。

つづく


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花嫁の秘密 411 [花嫁の秘密]

半分は諦めている。けれど残りの半分は、マーカスがこんなくだらないことをやめてくれることを望んでいる。

マーカスは僕と違ってこの十二年分経験が増えているはずだ。それなのにひとつも変わっていない。大きな手で左肩をベッドに押し付け、僕を見おろす。それとも相手が誰であろうとそうするのか?

上に乗られて身動き取れないのに、ただベッドに張り付けられて事が終わるのを待つしかないのに、なぜそこまでする?

「サミュエル、こっちを見ろ」

ゆっくりと視線を向けると、マーカスはにやりとした。思い通りになって満足しているのだろう。

「昔よりいいな」マーカスが言う。「けど相手がいたとはね。意外だったな」

サミーはただ見返した。下手に反応すれば、その相手が誰だかばれてしまう。おそらくマーカスは多少なりとも僕を調べたはずだ。最近クラブ通いしていたから、そこに相手がいると思っているかもしれない。

マーカスが顔を近づけて耳元で囁く。「そいつはどんなふうにお前を抱く?」

どんなふうに、か……。僕の顔しか見ようとしないマーカスにわかるはずもない。

「言いたくないならそれでもいい。どうせそのうちわかるさ」

マーカスの手が肩から腕を伝って腰を撫でる。触れられてもほとんど何も感じないのは、それはそれでよかったのかもしれない。仮に身体が反応していたとしても、それは僕とは関係ない。

膝裏をぐっと押し上げられ、マーカスが深く入ってきた。麻痺していると思っていた感覚が刺激され声が漏れる。遊びはここまでとばかりに激しい動きに変わり、身体が揺さぶられる。吐き気とめまいがひどくなり、このままではいつまで意識を保っておけるかわからない。

別に身体くらいくれてやると構えていたが、いざそうなると案外きついものだ。エリックに義理立てする必要はないが、望んでしたことではないと言い訳したくなる。

「声を我慢することないぞ。あの頃とは違うからな。お前が恐れていた父親はもうこの世にいない」

恐れてはいなかった。ただ、なぜ嫌われているのかわからず戸惑っていただけだ。嫌う理由がわかったとき、あまりに悲しくて打ちのめされた。

「我慢していると思っているのか?」精一杯の皮肉で返すが、掠れた声しか出なかった。喉はからからで唇もかさついている。

「まったく、可愛げのないやつだ。昔はもっと素直だったが、付き合っている男の影響か?そいつで満足できているとは思えないけどな」

マーカスの手が二人の間に割って入り、僕のものに触れた。手のひらで包み込むようにして上下に動かし、反応を見てほくそ笑む。

サミーは横を向いて目を閉じた。流れた髪が顔を覆う。

朝まであと何時間ある?マーカスはきっと使用人が動き出す前にここを出るはずだ。それまで目をつむって好きにさせておけばいい。

終わったら何事もなかったかのように朝食の席に着く。そうすれば知られずに済む。

つづく


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花嫁の秘密 410 [花嫁の秘密]

さすがにこの状況で、これからも関係を続けようなどと言えるはずがない。

今回一度限りだからこそ、ここまでしている。

抵抗しない者を抱いて楽しいか?その問いへの返事はひとつ、イエスだ。少なくとも今回は自分の意思で相手を選んでいる。

思えばサミュエルと別れてからすべてが変わった。仕事を失ったうえ――半分は遊びだったがそれでも仕事は仕事だ――父は援助を再開しようとはせず行き場を失った。知人のつてをたどり、行き着いたのがアレグリーニ夫人のところだった。この出会いがなければ、今頃は何をしていたやら。

「相変わらず、貧相な身体だな」マーカスはサミーの胸に手を置いた。

冷静で几帳面なサミュエルらしく、心臓はゆっくり規則正しく鼓動している。背は離れてから一〇センチは伸びただろうか。もうあれ以上大きくならないと思っていたが、わからないものだな。そのわりに抱えた感じは軽かったが。

「そっちはずいぶん大きくなったな」挑むような目つき。なにか言い返さないと気が済まないようだ。

こんな状況でさえ生意気な口を利くサミュエルに思わず頬が緩む。おしゃべりなサミュエルも悪くない。

「この方が受けがいいんでね」結婚市場に出るような若い女は男らしさの欠片もないひょろひょろの奴等でもいいだろうが、すべてを知り尽くした女を相手にするには身体は大きくないとやってられない。

「そう。ジュリエットもそうだった?」

「サミュエル、言葉に気をつけろ。言っておくが、俺はあんな女と関係は持っていないからな」マーカスはサミーに馬乗りになった。時間もないし、この辺でおしゃべりは終わりだ。

「別にどっちでもいいけど……彼女はそんなに評判が悪いのか」サミーは考え込むように、目を閉じた。「マーカス、気分が悪い」弱弱しい声で付け加える。

「すぐによくなる」マーカスはサミーの声を無視して、耳のすぐ下に唇を押し当てた。「サミュエル、俺がどうしてクビになったか知っているか?」

「父は、僕が楽しく勉強しているのが気に入らなかったんだ。勉強はつまらないものだからね」

ということは、真実を知らないのか。こっちはいつばらされるかとびくびくしながら生きてきたというのに。侯爵が死んでどれだけホッとしたことか。

「今夜もきっと楽しめる」囁くようにして口づける。昔はあまりしたことなかったが、キスの仕方を教えたのも俺だ。残念ながら、初めての相手ではなかったようだが。いったい相手は誰だろう。そんな相手がいたとはまったく思えないんだが。

マーカスはくだらない感傷を振り払うようにキスを深めた。オールドブリッジを引き上げてから、なぜかやたらと苛々するし、焦燥感のようなものを感じる。なにかに突き動かされるようにここまで来たのも、それが原因だ。

「マーカス……」唇が解放された一瞬の間にサミーが呟いた。

「なんだ?」サミュエルに名前を呼ばれると、みぞおちのあたりがぞわぞわとする。

「言っても無駄かもしれないけど、僕は、したくない」ゆっくりと目を開けて、ひたと見据える。けれど、ぼんやりとしたその瞳にマーカスが映っているかはわからない。

「他に相手がいるのか?」考えもしなかったことだが、あのジュリエット・オースティンとのゴシップが目くらましという可能性もある。俺は男でも女でも別に同じだと思っているが、サミュエルもそうだとは限らない。

「そういうことじゃない、ただ、したくない」半分ほど開かれた唇からこぼれる言葉は、感情のほとんどが取り除かれていて、まるで機械仕掛けの人形のようだ。けどそんなものは俺には通用しない。昔もいまも。

「いつもそう言っていたな。でも、結局最後は俺の言うとおりにする、今夜もな」

つづく


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花嫁の秘密 409 [花嫁の秘密]

昔からマーカスにはずるいところがあった。
けど卑劣ではなかったし、故意に傷つけるような真似をしたことはなかった。

今回に限っては、明らかに傷つけるのが目的だとしか思えない。でもいったいなぜ?昔のような関係を望むだけなら、不法侵入して薬だか毒だかをわざわざ飲ませたりはしないだろう。何か必ず別の目的があるはずだ。

結局はこの疑問で思考が止まる。いや、考えていないと正気を保っていられない。

「サミュエル、この傷はどうした?」

マーカスの問いかけに、サミーはまぶたをゆっくりと持ち上げた。目を開けると、途端に世界がぐるぐると回り出す。

見るとマーカスは左腕を掴み、睨むように傷跡を見ている。まるで、また身体に傷を作った僕を責めているかのようだ。

「撃たれたんだ。ただのかすり傷だよ」ギザギザの筋になった傷跡は、生々しいが見た目ほどひどくはない。

「撃たれた?決闘でもしたのか?」どこかあざけるような口調。

決闘ね。ある意味ではあの一瞬は勝負だった。勝ったのは僕で、負けた男は死んだ。「ジュリエットを取り合って?」本当の事は口にできるはずもない。

「まったく笑えないな」吐き捨てるように言う。よほどジュリエットの事が気に入らないようだ。

「それはこっちのセリフだ。いったいどうして、僕をこんな目に?」マーカスが腕に直接触れているということは、僕はとっくに脱がされて裸になっているということか。けど、なぜか寒さを感じない。よくわからない薬のせいで感覚がマヒしているのかもしれない。

「よくしゃべるな。昔とは大違いだ」マーカスはサミーの頬を撫でた。「無事なのはこの顔くらいか?」

醜い傷跡が嫌いなのは知っている。マーカスは僕の顔がお気に入りで、おそらくそれ以外には興味ない。

ひどい男だと思うが、それでもそんなことは気にならないほど、マーカスは僕に様々な世界を見せてくれた。外とのつながりができたのはマーカスがいたからこそだ。けれど、ある日突然姿を消した。

父は僕がごく普通に生きているのが気に入らなかった。家庭教師とまともな関係を築き、様々なことを学んでいることに腹を立てて、外出を禁止したこともある。町へ出て肉屋の主人と話をすることも、仕立屋で洒落たシャツを試着することも許せなかったらしい。

ただ部屋にこもって本を読んでいればいい、そういう考えだったのだろう。けど部屋にこもってしていることといえば――これを父が知ったらどうなっていただろう。

結局マーカスは追い出され、代わりにひどく退屈な女の家庭教師が来た。彼女はいい家庭教師だったが、本当につまらなかった。

「僕として、そのあとどうする?昔に戻りたいのか?」シーツに手を滑らせ、ここが自分のベッドの上だと気づいた。マーカスは僕をここまで運んだのか。寒くないのは部屋が暖かいからで、感覚がおかしくなっているわけではなかったようだ。

「その考えはなかったが、悪くないな。お前があの頃と変わらず俺を満たしてくれればだが」

つまりあの頃はマーカスを満足させていたというわけだ。はっきり言われたことがなかったけど、顔だけではなかったということか。「どうかな?僕を抱いたってつまらないだけだよ」

つづく


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花嫁の秘密 408 [花嫁の秘密]

ウィックファーム駅に到着した時にはすでに雨が降り始めていた。

列車はおよそ1時間遅れ、フェルリッジ方面の乗合馬車も出発した後だった。最終便が出たとなると自分で貸し馬車の交渉をするしかないが、あいにく出払っているらしい。

翌朝にはどうにかなると言っても、ここまで来て足止めを食らった状態というのはどうにも落ち着かない。やはり最初から馬車で移動しておけばよかった。あの方が列車の旅を嫌う理由が理解できた。

ブラックは馬宿の主人ともう一度交渉することにした。雨はそれほどひどくないものの、まずは悪天候の夜道を頼める御者がいないと話は始まらない。それでもだめなら他所へ行くしかない。

用意してもらった部屋は申し分ないし、ここで少し休憩を取ったからといって新しい主人は文句を言ったりしないだろう。けれど元の主人エリック様が目を離すなそばにいろと言うからには、必ずそうすべきだとブラックの頭の中で警告の鐘が鳴り響いていた。

食堂には同じように足止めを食らった客が数人まばらにいた。諦めたようにエールをちびちびやりながら、仕事の話をしている。荷物の遅れを心配しているようだ。

ウィックファームに駅があるのは、ひとつは物流の拠点になっているからだ。それなのに嵐でもない夜に身動き取れなくなるなど予想外だ。

「クリープエンドの方なら連れて行ってやれるんだがな」カウンターの端で宿の主人との会話を聞いていた男が言った。赤ら顔の陽気そうな男だ。「荷物の積み替えに少し時間がかかるが、朝まで待つよりかはましだろう?」

「申し出はありがたいが、残念ながら方向が違う。フェルリッジの方へ行きたいんだ」ブラックは答えた。

「ああ、そっちのほうか。確かヘイズがフェルリッジを通るとか言っていなかったか」男はまた別の男に話しかけた。

「言っていたな。けどまだ姿を見てないな」テーブル席に座る別の男が言った。眠たげに欠伸をする。

「運ぶ荷があるから必ずここに顔を見せるはずだ。荷物がひとつ増えたところで文句は言わないさ。いい所で降ろしてもらえばいい」男がのんびりと言う。

荷物というのは俺の事か。「それなら、そのミスター・ヘイズが姿を現したら交渉してみることにするよ」ブラックは答え、カウンターに向かってグラスを手に取った。中身はただの炭酸水だ。この調子だと外套を羽織って馬で駆けつけるしかなくなる。が、あまりいい案とは思えない。

やはりミスター・ヘイズか朝になるのを待つかの二択しかない。

結局それまで仮眠をとることにしたブラックは、部屋に戻り決して寝心地のいいとは言えないベッドに横になった。いつでも出発できるようにとただ目を閉じただけのつもりが、ドアを激しくたたく音で飛び起きることとなった。

ドアを開けると、宿の主人がせわしない様子で立っていた。タオルを手に肩のあたりが濡れているところを見るに、外に出ていたようだ。

「旦那、ヘイズが少し遠回りだがお屋敷まで送って行ってもいいと。もう一〇分もしたら出発するそうです」寝ている間に交渉してくれたようだ。世話好きな主人で助かった。

「それはありがたい。出発はすぐにでもできる」時間を確認すると午前三時だった。多く見積もっても二時間もあれば向こうに着ける。

ブラックは外套を取って部屋を出た。

つづく


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花嫁の秘密 407 [花嫁の秘密]

少しぼんやりするだけ?

嘘つきめ。

サミーは身をよじった。マーカスに頭を押さえつけられ、身動きが取れない。いったいどういうつもりだと文句を言おうにも口を塞がれている。

気分が悪い。頭がくらくらする。

どう考えてもマーカスの行動の意味が理解できない。それとも理解できないのは、マーカスが僕に何か飲ませたからなのか?頭ははっきりしていると思っていたが、実際はそうでもないのかもしれない。

僕の何がマーカスを刺激したのだろう。ジュリエットとのゴシップ記事を見たからなんだっていうんだ。いままで新聞や雑誌を手に取ることもできない場所にでもいたのか?あんなものは真偽を確かめるまでもなくほとんどが面白おかしくするために誇張したもので、本当のことなどひとつもない。これを言うと、エリックはきっと反論するだろうが、彼の書く記事も嘘ばかりだ。

考えても仕方ない。マーカスはきっとやめない。

せめてここにブラックがいればどうにかなっただろうけど、いまここにいないなら明日の朝までは期待できないだろう。

「あの女と、もう寝たのか」マーカスはゆっくりと顔を上げ、頭を掴む手の力を抜いた。ひとまず開放する気になったようだ。

「いいや」幸いなことにね。

「当てつけならやめておけ」

マーカスの勘違いを指摘する気にもなれない。クリスに嫌がらせなんかしたことないし――アンジェラの事を除いて――、ジュリエットと付き合うことが当てつけになるという考えが、そもそも違っている。

「まさか」自分と関係があったからか?現在進行形ならエリックが把握しているはずだから、過去だとしてもいつの時点だろう。

「サミュエル、お前は働かなくてもいいかもしれないが、俺は違う。お前と違って父親が何もしてくれないからな」

「いったい、なんの――」言いかけて、また口を塞がれた。労働者とは思えない滑らかな手がシャツの裾から入り込んできた。働いていると言っても、女性相手なら指のささくれひとつないのも頷ける。きっと爪はピカピカに磨かれていることだろう。

マーカスがボタンを器用に外していくのをどこか別の場所から眺めている気分だった。ぼんやりするだけとはこういうことか。感覚ははっきりとあるのにもやがかかったような、目を閉じて成り行きに任せる以外僕に何ができるだろう。

それでも、拒絶の意思は示すべきだ。十二年ぶりに突然やってきて好き勝手できると思われたくない。

サミーは頭を左右に振りもがいた。必死に足をばたつかせマーカスを押しのけると、這うようにしてベッドの下へ落ちた。

めまいと吐き気がするが、まったく動けないわけではない。とにかくこの部屋から出て、叫ぶか呼び鈴を鳴らすかすればすぐにグラントがやって来る。

よろめくようにしてドアへ向かう。自分の部屋に戻れたらいいけど、それは無理そうだ。

雨音とともに、マーカスの笑い声が聞こえた。

「量が足りなかったか」まったく人間味のない冷淡な口調。ゆったりとした歩幅で近づき、サミーの腕を掴むと強い力で引き寄せた。「逃げられないとわかっているだろう?」

「こんなことをしてただで済むと?」ああ、なんてありきたりなセリフ。エリックに聞かれたら絶対馬鹿にされる。

「どうする?父親にでも言いつけるか?」マーカスはくつくつと笑い、サミーの顎を掴んで口をこじ開けた。「素直に言うことを聞けばいいものを」

液体が口の中に流れ込んできた。ほんの少量、味はたぶんない。けど、ただただ不快だ。おそらくもう自力で立ってはいられないだろう。

サミーは完全にマーカスに寄り掛かり、まぶたを落とした。

つづく


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花嫁の秘密 406 [花嫁の秘密]

「大丈夫だ。少しぼんやりするだけだ」

マーカスはサミーの血の気の引いた頬を指の背でゆっくりと撫でた。昔と変わらない。青白い顔で弱弱しく横たわる姿はあの頃と同じ。

「なぜ、こんなことを?」

なぜ、か。自分でもよくわからない。腹を立てていたが、ここへ来てサミュエルが何も変わっていなかったとわかったいまは、もうどうでもよくなった。いや、変わってはいた。クラブ通いをし、ゴシップ紙の常連になるくらいには。想像もしていなかったことだ。転機は父親の死か?

「確かめに来たと言っただろう」マーカスは部屋を見まわした。もっとよくサミュエルの顔が見たい。だが部屋の明かりをつければ、見つかる危険は高まる。そこまでの危険を冒す価値があるだろうか。

マーカスは思わず失笑した。危険も何も今更というもの。

「僕が結婚するのが、そんなにおかしいか?」

サミュエルは笑われたと勘違いしたようだ。だがこの言い方からすると、結婚もあり得るということか。「いいや」と適当に返事をしたが、気に入らなかったようだ。

「何も知らないくせに」無知で愚かだと決めつけるような口調だ。

確かに知らない。あのあとサミュエルが誰と付き合いどんな経験をしたのか。だが、俺が最初の男なのは変わらない。

「そう怒るな。どうしてよりによって兄の元恋人に近づいたりした?どんな女か知らなかったわけじゃないだろ」もし知らなかったとしたら、兄弟揃って間抜けとしか言いようがない。

「彼女は、ただの友人で、それ以上のものはない。これで満足か?」サミーは淡々と言って、わざとらしくため息を吐いた。目は閉じていて、眉間に皺が寄っている。意識をしっかり保とうとしているようだが、そろそろ限界だろう。

「サミュエル、昔話をしようか。それとも、直接思い出させてやろうか?」マーカスはサミーに覆いかぶさった。これで少しは暖かい。とはいえ言うほど寒くもないが。

「なぜ、いまになってここへ来た?十二年もあったのに……」サミーはマーカスを押しのけるように二人の間に手を置いた。力はほとんど入っていない。

「まさか、責めているのか?」この反応は意外だった。サミュエルと俺は違う道をずっと進んでいたし、今回気まぐれに会おうと思わなければきっと死ぬまで会うことはなかっただろう。大袈裟でもなんでもなく、少なくとも先代の侯爵が亡くなるまでは、会うことはおろか近づくことすらできなかったはずだ。

「そんなことはしない。ただ知りたいだけだ」サミーは苦しげに息を吐き、目を開けてマーカスを見た。感情の読み取れない冷たい瞳。あの頃はまだかわいげがあった。

「理由などない。だいたい理由を知ったからといって、どうなるもんでもないだろう?俺はクビになってここを去った。これまで会う必要もなかったから会わなかっただけだ」あの時起こったことを今更とやかく言ったところで、自分が不快になるだけだ。過去は過去でしかない。

「僕もそうだ。もう会う必要はない」

会いたくないと突っぱねれば、逆効果だと教えてやるべきか。「サミュエル、何を怖がっている」

答えを聞く必要はなかったし、聞くつもりもなかった。どちらにせよ喋ることはできない。マーカスはサミーの前髪を掴んでベッドに押し付け唇を塞いだ。ほのかに残るブランデーの香りに交じる大人の男の匂い。

昔のサミュエルはもういない。それでいい。変わっていないと思っていたのは幻想で、お互いあれからずいぶん変わった。

変わらないのは、ただひとつ。

サミュエルはいまでも俺のものだということ。

つづく


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花嫁の秘密 405 [花嫁の秘密]

突然何かが唇に触れたかと思うと、液体が否応なしに喉の奥まで流れ込んできた。溺れる感覚とも違う、ちょうど水面に顔を押し付けられたような、外から力を加えられているような感じ。

サミーはぐずぐず考えたりしなかった。ここがどこで何をしていたのか思い出すのは一瞬で、こんな悪質な悪戯ができるのは一人しかいない。結局ここへくることにしたのかと、アルコールにむせながら見上げると、予想外の人物が目に飛び込んできた。

現実とは思えず、こういう場合に言うべき言葉が何ひとつ思い浮かばなかった。

「マーカス?」アルコールでヒリつく喉から声を絞り出した。

「久しぶりだな、サミュエル」マーカスはこんな状況でも悪びれることなく言う。まるでほんの数日離れていただけのような馴れ馴れしさだ。

けれど、見た目はずいぶん変わった。過ぎた歳月だけ歳を取り、身体はひと回りは大きくなっている。鍛えているのだろうか。だが変わらないのはダークグリーンの瞳。ほのかな灯りの中でもはっきりと見える、あの支配的な目つき。

よくよく考えてみれば、エリックは一度も僕を乱暴に扱ったことはない。荒っぽい時もあるけれど、無理やり酒を飲ませる真似をするはずがなかった。

「どうやってここに?――苦いな、いったい何を飲ませた?」口の中に残るざらついた感触は農家で飲んだ薬草酒を思い出させた。あれは本当に最悪だった。キャノンのすすめる酒は二度と飲むものか。

「ただのブランデーだ。なぜここにいるとは訊かないんだな」マーカスはサミーの顔を覗き込み、にやりとした。

「訊いて欲しいのか?」

名刺ひとつで怯えていたのが馬鹿馬鹿しくなった。マーカスは元来自分勝手な男で、いつでも僕を支配できると思っている。けど、なぜいま?

最初目的は金かと思ったが、調べた限りではマーカスは金に困ってはない。潤沢とは言えないかもしれないが、よくわからないコンサルタントという仕事はそれなりにうまくいっているようだ。

「ずいぶんな口の利き方だな。会わないうちに俺の事を忘れたか?」

マーカスはなんと答えて欲しいのだろう。忘れたことはないと言って欲しいのか?

「それで、何の用?不法侵入してまで僕に会いたかったわけは?」サミーはつっけんどんに訊き返した。むかむかして気分が悪い。

「ちょっと確かめたいことがあってね」マーカスはベッドに横になり、肘をついてゆったりとした姿勢をとった。「お前、あの女と結婚するつもりか?」

「けっ……こん?」あの女?マーカスはいったい何を――「まさか、ジュリエットのことを言っているのか?」

「他にも候補がいるのか?」マーカスは馬鹿にした笑いを漏らした。「なぜあんな女と付き合う?」

「そんなのことを聞くためにわざわざ侵入したのか?こんなことして、見回りが来たらどう説明するつもりだ?」

「この屋敷の主は留守。弟のお前が兄の寝室で何をしていたのかは知らないが、見られたくはないだろう?つまり、見回りなんか来ない」

癪に障るが、すべてマーカスの言うとおりだ。

いますぐこんなくだらない会話をするのはやめて、マーカスを追い出すべきだ。けど、どうやって追い出す?質問に答えたら、こんな時間でも納得して出ていくのだろうか。そもそも、マーカスはどうやってここまで来た?マーカスがやすやすと侵入できたということは、他の誰でも侵入可能だ。

つまりクリスマスの朝、あの箱を届けた人物にとっても容易いことだったはず。その簡単な仕事を請け負ったのは誰か。そいつを見つけるためにここへ来たのに、僕はいったい何をしているんだ。

「僕が誰と付き合おうが関係ないだろ」マーカスを追い出そうと起き上がろうとしたが、身体が思うように動かなかった。飲まされたブランデーの影響かめまいがする。たかがあれだけで酔うはずもないのに。

「サミュエル……サミー、こっちを見ろ。確かに関係はないな。けど、お前が女と付き合えるとは思えない。ましてや結婚なんて――」

マーカスが延々としゃべり続けていたが、いったい何を言っているのかうまく聞き取れない。何かがおかしい。

「マーカス、僕に何を……し、た?」

つづく


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