はじめまして。


BL小説を書いております、やぴと申します。
こちらは男同士の恋愛小説となっております。
ストーリーの関係上、性描写があります。
ご理解いただける方のみ、自己責任において閲覧ください。
実際は小説と呼べるほどのものでもなく、趣味で書いていますので、稚拙な文章ではありますが楽しく読んで頂けると幸いです。

コメントなど気軽に頂けると嬉しいです。
誹謗中傷などの心無いコメントは当方で削除させていただきます。ご了承下さい。

花嫁の秘密 11 [花嫁の秘密]

アンジェラは侯爵が借りているマナーハウスに来ていた。
御者の手を借り馬車から降りると、「マーサはここにいて、二人でちゃんと話してくるから」
とマーサには馬車で待つように言った。

「でも、男の方と二人きりで――」
「マーサ」
マーサは心配そうな顔を向けたが、アンジェラは言葉を被せるようにしてマーサを制した。

「ええ、わかってますよ。お嬢様は……」
「そうよ。すぐに話を済ませるから、心配しないで」
ちゃんとばれないようにするからと目で合図し、笑顔を覗かせて、マーサをなんとか落ち着かせた。

執事により応接室へ案内され、ソファに腰をおろしたが、知らない場所に一人きりで落ち着けるはずもなく……早くも一人きりで乗り込んで来たことを後悔し始めた。
侯爵が柔らかな笑顔で部屋に入って来て、執事に紅茶とスコーンを運ばせた。
ソファの脇のティーテーブルにそれらを給仕すると、執事は部屋から退出して、侯爵と二人きりになった。
本当はこんな風に未婚の男女が二人きりになるなどあってはならない。けれど、アンジェラがそうして欲しいと申し出たのだ。

「ミス・コートニー、先日は大変失礼をいたしました」
侯爵はソファから立ちあがり、アンジェラの前で深々と頭を下げた。
顔を上げた瞬間、侯爵の青い瞳がアンジェラのヘーゼルの瞳とぶつかった。

アンジェラの頬は熱くなった。
熱くなった頬はきっと赤くなっているに違いないと思い、思わず顔を逸らした。

早く話を済ませて帰らなければ――

アンジェラは出された紅茶に口を付けることなく、話を切り出した。

「先日の事は無かった事として忘れる事に致します。――その代り、わたしは侯爵様からの求婚をお受けするわけにはいきません」

僅かに顔を逸らすアンジェラに、侯爵からの返事はなかった。
目の脇でそっと侯爵を見た。
侯爵はどうしていいのか困惑しているようだった。きっと自分の失礼からこのような返事になったのだと思っているに違いない。そう、思ってくれることをアンジェラは望んだ。

「私はあなたを妻にしたい」
侯爵ははっきり言い切った。

「ご希望に沿う事は出来ません」
アンジェラは今度はきちんと顔を上げ、毅然とした態度で言葉を返す。

「すぐにという訳ではありません。まずは婚約して、結婚はあなたが十六歳の誕生日を迎えるまでお待ちいたします。いえ、お望みならもう少し待つことも出来ます」
アンジェラの断りの言葉にも、侯爵は引き下がる様子は全く見られない。

「どうしてわたしなのですか?侯爵様にお似合いの方は他にも大勢いらっしゃるはずです」

「私にはあなたしかいないのです」

「わたしは、侯爵家に嫁ぐ勇気も覚悟もありません。それに――」

(わたしは跡取りを生むことも出来ない男なのに――)

そう言えたらどんなにいいか……。
なんとか納得させようと試みるものの、侯爵が動じる様子が見られない。
アンジェラは、だんだんと拒む力が弱まっていくのを感じた。

侯爵はこんなにもわたしを求めてくれていると、一瞬途方もない事を思ってしまった。
求められても、出来ないものは出来ないのだ――早く断ってここを立ち去らなければ。

つづく


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花嫁の秘密 12 [花嫁の秘密]

言葉に詰まり不安な面持ちで俯くアンジェラを、なんとか宥めて結婚を前向きに考えて貰おうと、侯爵は一歩も後に引かない。

「私が守ります、あなたを――不安な事はすべて排除します。あなたのお母様は賛成してくださっています。お願いです、イエスと返事を下さい」
言葉も口調も自信たっぷりなのに、その表情だけはおぼつかない。

その表情から侯爵の切実な想いが真っ直ぐに伝わってきた。その真っ直ぐな気持ちが怖いと思った。
アンジェラはそれらを振り払うように、声を出した。

「無理なものは、無理なのです!」

アンジェラは立ち上がり逃げるように部屋を出ようとした。
だが部屋を出ることなく、アンジェラの小さな身体は侯爵に阻まれ、抱きすくめられてしまった。
堅い胸に顔が埋まり、ふっとローレルオイルの香りが鼻を擽った。侯爵の逞しい身体は男らしさが滲み出ていた。自分とは明らかに違う。

「やめてくださいっ!」
侯爵の腕の中で精一杯声を出す。
こんな声を上げれば、普通は誰か使用人が顔を出してもおかしくないのに、そんな気配は全く見られない。
こちらから二人きりで話がしたいと申し出たのだから、当たり前なのだ。きっと侯爵が呼ぶまでは入室しないように言っているに違いない。

「なぜ、無理なのですか?私が嫌いですか?理由を教えてください」
侯爵に頭の上で優しく問い掛けられ、身体の芯が熱を帯びる。慌てて小さくかぶりを振ると言葉を返す。
「わ、わたしは、今まであの屋敷から出たことがありません。それに、母を一人には出来ません」

「今は屋敷を出てここまでいらっしゃっている。それに、お母様のことも心配いりません。あなたが望むなら、お母様のお部屋も用意します」

「そ、それに、持参金だって、そんなにないと思います」
持参金など侯爵が当てにしているとも思えない。

「そんなものは、いりません。あなたが来てくだされば」

やっぱり……そう言うに決まっている……。
それでもアンジェラはなんとか抵抗する。

「わたしは、あなたの期待には応えられません」

「どうしてそう思うのですか?私があなたに望むものはあなた自身なのですから、他には何もいりません」
侯爵の声はあくまで優しかった。
「もう、やめてください。結婚は出来ないのです……」
アンジェラはとうとう泣き出し、か細い手をいっぱいに伸ばし侯爵を押しのけようとした。
だが侯爵は離してはくれなかった。

侯爵は屈みこむ様にして、アンジェラの耳に口元を寄せた。
「どれも、断る理由にはなりません。それに、私はどうやら嫌われてはないようなので、もう少し待ってみる事にします」
囁くように言った後、アンジェラをそっと離した。
そしてハンカチを取り出しアンジェラの目元に優しく押し当て涙を拭った。

アンジェラは、そのまま振り返ることなく屋敷を飛び出し、外で待っていたマーサの胸に飛び込んだ。

「マーサ、帰りましょ」
それだけ言うと、馬車に乗りアップル・ゲートへと戻って行った。

つづく


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花嫁の秘密 13 [花嫁の秘密]

またやってしまった。
まるで感情が抑えられない子供のような姿を見せてしまった。
クリスは情けない自分に苦笑した。

いつも通りに紳士らしく振舞おうと頭では考え理解もしているのに、身体に染みついた行動よりも感情が先走り、逃げる彼女の身体を捉え結婚を承諾させようとした。

「まるで、脅しだな……」

もしあの姿を――クリスがアンジェラを抱きしめている姿を――誰かに見られていたら、アンジェラは世間では傷物として扱われることになる。それはつまり世間体を考えれば、結婚という道しか残らないということだ。

クリスは一瞬だが誰かに見られていたらよかったのにと思ってしまった。
それは全くアンジェラの感情を無視したものだ。
そんな事を思ってしまった自分の浅ましさに更に情けなくなる。

クリスはソファに腰をおろし、冷めてしまった紅茶を口に運んだ。味など分からなかった。ただ緊張で乾いた喉を潤したかったのだ。

カップを手にしたまま、アンジェラが先ほどまで座っていた場所へと目を向ける。

今日は淡いグリーンのドレスを着ていた。小柄な体をまるで大きく見せたいかのように、胸元にはフリルがふんだんにあしらわれていて、飾りのリボンが何とも愛らしかった。
クリスはドレスについてはよく知らないが、社交場で見たどの女性のどんな豪華なドレスよりも、彼女によく似合っていて素敵だと思った。

抱き締めた時、アンジェラからは甘い香りと薔薇の香りがした。
きっと薔薇の香りは香水、甘い香りは……アンジェラの香りだ。

震える彼女を胸に抱き、不謹慎にもあのドレスの下に眠る彼女の姿を見たいと思った。レースの手袋を外して、その手にじかに触れたいとも思っていたのだ。

どんどん欲求が抑えられなくなっているようで怖かった。
もしこのまま拒み続けられれば、諦めるしかない。そんなこと耐えられない。

しかし彼女の言う事ももっともだ。
十五年間あの屋敷でずっと過ごしてきて、急にやって来た男に結婚を迫られ、屋敷から連れ出されようとしているのだ。しかもそれは母親と引き離されることを意味する。
拒絶して当たり前だと思うし、それに自分のしたことを考えればなおさらだ。

でも嫌いだとは言われなかった。いや、言えなかっただけなのだろうか?
到底諦めきれない。どうにかして、彼女の心を溶かし、求婚を受け入れてもらわなければ……。

クリスは今まで、ほとんど女性を口説いた事が無い。不思議と女性の方から近寄って来ていた。一夜限りの者もいれば、長く付き合った、恋人や愛人というべき女性もいた。

女性がどうすれば喜ぶのかも分かっている。
優雅な笑顔に、甘い囁き、一番はメイフィールド侯爵家という名前。
あとはほんの些細な贈り物。時には宝石のような高価なものをねだられることもある。

だがこんなものは彼女には通用しないだろう。

どれだけ微笑みかけても、熱烈に求婚しても駄目ならば、結局贈り物をするしかない。
クリスは早速執事を呼び、それらを手配させようとしたが、こんな大事な事を他の者に任せるなどあり得ないと思い、そのままロンドンへと引き返した。

つづく


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花嫁の秘密 14 [花嫁の秘密]

アンジェラは帰り道一言も喋らなかった。
マーサが心配しているのが分かったが、一人で少し考えたかった。
一体何を考えるのかと、自問自答したが、とにかく何かを考えたかったのだ。

屋敷に戻ったアンジェラはそのまま逃げるように自室に籠った。
セシルが心配してやって来たけれど、大丈夫だと言って一人にしてもらった。セシルには侯爵を訪問する前に、先日待ち伏せされ求婚された事を打ち明けていた。

わたし……おかしい。
断るはずなのに、結局断れていない――いや、断ったのに受け入れてもらえなかった。
どうして、嫌いだからもう会いたくないと言わなかったのだろうか?
視線が絡まった時に、熱くなった頬の意味は?

侯爵に抱きしめられて、一瞬、動けなくなった。
その時の優しい声が耳の奥で今でも柔らかく響いている。

その時アンジェラは何かに弾かれたようにハッとした。

嫌だ……駄目なのに……好きになんてなれないし、なってはいけない。
いえ、好きになったとしても、断らなければいけない。
どうあっても結婚は無理な話なのだから――

その翌日から、毎日のようにアップル・ゲート邸には侯爵からの贈り物が届いていた。
それらはかならずアンジェラが身に着けるようなものだった。
レースのハンカチや手袋などの小物類だったが、一目で上質のものとわかった。
だがアンジェラはそれらを見ないようにした。もちろん使用するなどありえない。

ソフィアは純粋に喜んでいた。すっかり娘を嫁がせる気になっているのだ。

先日倒れたとは思えないほど回復した母だったが、以前に比べるとベッドで過ごす時間が増えたように感じる。
わたしが断れば、お母様は悲しむかしら?
そうやって母の心配をしながら、どんな理由があっても断らなければいけないと自分に言い聞かせる。

セシルは新学期が始まり心配そうに学校へ戻って行った。
ロジャーはどちらかといえば、まだ楽観視していた。まさか結婚できるはずもないし、侯爵の一時の熱が冷めてしまえば、すぐに元通りになるからと本邸へ行ってしまった。

また母と二人きりの生活になった。
母は毎日送られてくる贈り物を眺めながら、アンジェラに結婚を勧めるのだ。

アンジェラはそんな母を見ながらもうすべてを打ち明けてしまいたかった。
いつまでこうやって周りを欺き、女性として暮らしていかなければならないのだろう?
だけど、命がけで自分を生んでくれた母を思うと、そんなこと言えるはずがないのだ。
そもそも男性としての生き方さえアンジェラには分からないのだ。
以前はこんな事思いもしなかったのに、毎日楽しく過ごしていたのに、気が付けばため息が漏れている。

アンジェラは部屋に戻ると侯爵に贈られた手袋をそっとはめてみた。レースの繊細な手袋。アンジェラの手を優しく包んでいる。まるで侯爵に抱きしめられた時の様な――

「違う……いけないこんな事」
アンジェラは手袋を乱雑に外すと、クッションの下に隠した。

こんな気持ちのままずっと過ごすのはもう耐えられない。今度こそきちんと断らなければならない。そうすれば侯爵が、無駄な贈り物をしなくても済む。

マーサは反対したが、アンジェラはもう一度侯爵に会いに行くことを決めた。

つづく


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花嫁の秘密 15 [花嫁の秘密]

結果がどうなったのか言うまでもない。
アンジェラに侯爵を納得させることなど出来るはずもないのだ。
どうして、嫌いだと一言言うだけでいいのに言えなかったのだろうと、窓の外に目を向け、曇った秋の夜空を見上げる。
何の為に会いに行ったのだろうと、溜息が漏れる。
最近は溜息を吐いてばかりだ。そしてずっと侯爵さまの事を考えている。いったい自分はどうしてしまったのだろうか?

だけど、アンジェラとて、何も言わなかったわけではない。

ずっと田舎の屋敷にいたため、淑女としてのマナーも備わっていないし、社交場へも出たくないと言った。
そうしたら侯爵は、今のままで十分だと言い、社交場へも出なくても大丈夫だと言った。嫌がることを無理強いする事は無いから安心してとも。

では、結婚を無理強いするのはやめてくださいと食い下がったが、それだけはお許しくださいと微笑みかけられて、アンジェラはまた頬を熱くしたのだ。

侯爵は贈り物については何も言ってこなかった。
普通なら、気に入っていただけましたか?とか訊いてきそうなのに。それとも、そういう事は訊かないのがマナーなのだろうか?
アンジェラには社交界のルールも、恋の駆け引きも分からないのだ。
だからアンジェラも贈り物の事については何も言わなかった。何か口にすれば、それは自分にとって不利になりそうな気がしたからだ。

「狩猟シーズンが始まっているのに、いつまであのマナーハウスにいるつもりかしら」
アンジェラは侯爵をここに引き留めてしまっていることに罪悪感を抱きつつあった。

*****

りんごの木に赤い実がたわわになり始めた頃、アンジェラはアップルパイ用にりんごを取りに一人門の外に出た。
そして、その赤い実に劣らない、真っ赤な髪の色をした侯爵が馬で屋敷へ向かってきていた。
アンジェラは侯爵の姿が見えると、思わず踵を返し屋敷へと戻ろうとした。

どうしてこんな逃げるように――そんな事を思いつつ、後ろを振り返って見る事など出来なかった。

侯爵はアンジェラのすぐ後ろまで来ていた。
そして馬からおりると、駆け出し、そのままアンジェラを後ろから抱きしめた。
その拍子にアンジェラは手に持っていた籠を落としてしまった。そのまま身動きが取れず、何も言えないまま、時間が流れる。

「ミス・コートニー、私では駄目ですか?」
侯爵のアンジェラを優しく包む身体も声も震えている。

アンジェラは答えることが出来なかった。
ただ一言、駄目ですと言えばいいのに。

「どうして、わたしを困らせるのですか?」
アンジェラは涙声になっていた。侯爵に抱かれた身体が、同じように小さく震えている。

「そんなに……嫌なのですか?」

「違います、違うんです。出来ないんです結婚は……きっとわたしに失望します」

「失望などしません」

「します!するに決まってます!」

(だって、わたしは……)

「そんな事はありません。最初はあなたの噂に惹かれ、そしてその姿に惹かれましたが、今はその心の内にも惹かれています。美しく、聡明で、母親想いで、あなたのすべてが私の心を捉えて離さないのです」

侯爵はそっとアンジェラの肩を掴み振りかえさせる。
泣き顔を見られ恥ずかしさに顔を逸らしたが、侯爵の手により引き戻されてしまった。
「あなたがもう少し成長されるまで待ちます。だから、ここで将来の約束をさせてください」

出来ません――そう言うはずだったのに……。

アンジェラは小さく頷いた。

そして、アンジェラは侯爵に唇をふさがれ、初めてのキスをした。
ただ唇が擦れ合っただけなのに、その柔らかで優しい唇に甘く蕩けてしまいそうになった。

キスが終わると、侯爵は落ちた籠を拾い、りんごの収穫を手伝い屋敷の門まで送り届けてくれた。
そして、明日正式に屋敷へ伺いますと言い残して、帰って行った。

つづく


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花嫁の秘密 16 [花嫁の秘密]

屋敷へ戻ったアンジェラは、ティールームにいるソフィアのもとへ向かった。
最近の母は膝の調子もいいらしく、以前と変わらず元気になっている。
しかしアンジェラは、母が倒れた時のその姿が目に焼き付いて離れないのだ。
いつも元気だった母が――もちろん、アンジェラを産んでからは少し身体を弱くしていたけれど、身体と言うよりも心の方が心配だった。

その明るさの陰には大きな悲しみが隠されているからだ。
母と父はとても愛し合っていた。ありきたりな表現だけれど、そういうのが一番似合っている。
それなのに、これから生まれてくる子供の顔を見る事も出来ずに亡くなった父と、そんな父を亡くした母。母の悲しみがどれほどだったのか、アンジェラには理解できる限度を超えている。

だから、今は母にとってはアンジェラがすべてで、その成長、そして無事いい家柄の方との結婚――それは現在侯爵との結婚を指している――その役目を果たすことが母の生きる意味にもなっているのだ。

「お母様、明日、侯爵様がこちらへいらっしゃるわ。きっと、あとで正式に使いの方がいらっしゃると思うけど……」
ソファに腰をおろしながら言った。

「まあ、どうしてあなたが知っているの?ところで、侯爵様は何しにいらっしゃるのかしら……」
とぼけたように言う母が可笑しかった。

毎日贈り物をするほどアンジェラに夢中で、今度は侯爵本人が訪問して、今度こそアンジェラに求婚するに決まっていると、母はきっと思っている。

何度も求婚された事、一人で侯爵に会いに行ったことは母には内緒だったが、今となってはそんなことどうでもいいことだ。
「先ほど、門の外でお会いしたの。りんごを取りに出たときに……」

「まあ、あなた一人で?」

「そうよ、だって、まさか侯爵様にお会いするとは思わなかったから」

「そうそれで」
ソフィアは特に咎める様子はなく、期待と興奮に満ちた顔になっている。

「わたし、あの方の申し出をお受けしたわ」

ソフィアは口をあんぐりと開け、アンジェラの方を見ていた。
それこそ、何のお話かしら?とでも言いたげに。

だから、アンジェラはもう一度言った。

「わたし、侯爵様の求婚をお受けしたの」


それから、母がどうなったのか言うまでもない。
まさしく狂喜乱舞と言ったところで、すぐさま屋敷中にその喜ばしい(母にとって)出来事が報告された。
もちろん本邸にいるロジャーにも知らせは届き、ロジャーは慌てふためきアップル・ゲートへ駆けつけることになる。

つづく


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花嫁の秘密 17 [花嫁の秘密]

アンジェラは母に報告するとすぐにマーサの元へ向かった。
マーサは部屋でアンジェラのドレスに手を加えているところだった。
母に伝えたように、マーサにも侯爵の求婚をお受けしたと伝えた。

「どうしても、断れなくて……」

「いけません、今からでもお断りするべきです」マーサは眉を吊り上げた。

「わかってるわ……、断らなければいけないのは……。とにかく、まだ婚約の段階でしょ、その間に結婚まで行きつかないカップルも結構多いって聞くわ」
かつて母からもたらされた情報で、マーサの吊り上った眉を下げようとする。

「アンジェラ様!分かっていらっしゃらないようですが、普通の方々とは違うのですよ。相手は侯爵様です。婚約すれば新聞に発表されてしまうのですよ。それに婚約破棄となれば、どちらの家の評判も地に落ちてしまいます」
マーサが、お嬢様ではなくアンジェラ様と呼ぶ時は気を付けなければならない。
大体がアンジェラを咎めるときに使う表現だ。

「あの方には新聞発表はしないでってお伝えするわ……」
しゅんと項垂れるアンジェラにマーサはさらに言葉を続ける。

「そういうことではないのはお分かりですよね」

「ええ、分かっているわ……マーサ――わたしおかしいの。あの方は男性で、わたしだって同じなのに、自然とあの方の求婚にお応えしたいと思ったの。ねえ、どうかしてるでしょ?」

アンジェラは侯爵の優しさに満ちた力強い青い瞳を思い出していた。

マーサは眉を顰めアンジェラを見た。
その時マーサの目に映ったアンジェラの姿はとても美しかった。
窓から差し込む光がはちみつ色の髪に反射し、黄金色に輝かせ、白い肌がほんのりピンク色に上気して、その色は侯爵に染められたものだとすぐにわかった。
アンジェラのヘーゼルの瞳には幸せの光が宿っていた。

「お嬢様、あの方をお好きになったのですか?」
マーサの声は冷静そのものだった。だが表情は段々と歪んでいくのが見えた。

「わからない……けど……」
マーサの表情にハッとさせられたアンジェラは、マーサの視線から逃れるように窓の外に視線を逃がした。

「わたしのせいですね。わたしがお嬢様を女の子だと偽ったから――お嬢さまは、すっかりその心も――わたしのせいです!ああ、神様――」
マーサは取り乱していた。
アンジェラは振り返ると、マーサに近寄り抱きしめた。
「ごめんなさい、マーサ。あなたは悪くないの、わたしがあの方を……好きに……でも言うわ。結婚できないって」

こんな風にマーサを泣かせてはいけない。マーサが悪いのではない、自分自身があの時――十二歳で自分の性別がはっきりとわかった時に決断したのはわたしだ。
このまま女性として生きていくと――いや、本当は十二歳の男の子に戻ろうとしたのだ。
だけど出来なかった。いまさら自分の事を僕と言う事も、ドレスを脱ぎ捨て、シャツとズボンに着替えることも。
いつかは終わりが来るこの芝居を、その終わりが来るまで続けようと決めたのだ。

アンジェラは泣き出し、マーサも泣いていた。二人で抱き合い、しばらく恥ずかしいくらい声をあげて泣いた。

そして、この時マーサはある決心をしていた。


その後、正式に婚約したアンジェラだが、世間への発表は控えて貰った。
結婚までまだあると言っても、早く断らなければ、その日はあっという間に来てしまう。

そう思っていたのに……。



次の春が来て、アンジェラが十六歳の誕生日を迎え、シーズンが終わりを告げる頃、メイフィールド侯爵とラウンズベリー伯爵の妹アンジェラ・コートニーは侯爵の治める領地の教会で家族が見守る中無事結婚をしたのだった。

そして、物語は結婚後のクリスとアンジェラの夫婦生活へと続く――



前へ<< >>番外編 結婚へのカウントダウンへ or >>第二部へ



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花嫁の秘密 18 ~第二部~ [花嫁の秘密]

「マーサ、わたしはきっと地獄に落ちるわ」
「いいえ、落ちるとしたらわたしの方です。お嬢様は悪くありません。それにしても本当にお綺麗ですわ」
マーサはうっとりとした表情でアンジェラを見つめた。
マーサの手により仕上げられた純白のドレスには、侯爵がアンジェラの為に注文した最高級のブラッセル・レースがふんだんにあしらわれている。さらにその繊細なレースは薔薇の花冠と共にアンジェラの頭上から足元まで綺麗な線を描いている。

「マーサ、馬車が待っているから先に教会へ行っておいて。すぐにロジャー兄様とお母様と一緒に教会へ向かうから」
そう言って、マーサとアンジェラは共に手を取り、これから待ち受ける罪深き行いに対して覚悟を決めた。

メイフィールド侯爵の数ある領地の中でも、ロンドンに最も近いフェルリッジ村で結婚式を行う事にした。
教会へ向かう馬車の中で、珍しく母は緊張のためか無言だった。ロジャーはどうして自分がこの場にいるのか分からないといった面持ちで、こちらも終始無言だった。
当事者のアンジェラも、緊張と興奮、罪悪感で頭がくらくらとしていた。

教会へ到着し、側廊を歩いているところからは音楽さえ聞こえていなかった。
けれどなんとか牧師の前で誓いの言葉を述べ、キスを交わすことが出来、結婚式はスムーズに終了した。

母とマーサは喜びで涙を流していた。
兄三人は、この上ないほど複雑な表情をしていた。
特にひどかったのが長男のロジャーで、ほとんど死んだような表情になっていた。
真面目で責任感が強いロジャーは、嘘と――しかも神をも騙している――家を守るという狭間で、もはや現実から逃れてしまっているのだ。
セシルもいつ嘘がばれてしまうかと、ビクビクとしていた。
ただ、次男のエリックだけは違った。
何か楽しんでいるような表情で、事情を知らない者が見れば、ただにこやかに妹の結婚を祝福しているようにしか見えなかっただろう。

その後メイフィールド邸へ戻り、ウエディング・ブレックファーストと呼ばれる披露宴が催された。
それは侯爵家のものとは思えないほどつつましやかなもので、これもアンジェラが望んだとおりだった。
それでも、並んだ料理は一流の料理人により準備され、ロンドンで有名な菓子職人に特別に作らせたウエディングケーキは、砂糖菓子で作られた薔薇で優雅に飾り付けられていた。

その後まず最初に乾杯の挨拶をしたのは、オークロイド子爵だった。クリスの親友で、家族親戚以外での出席は彼だけだった。
というよりも、クリスの家族は出席していなかった。両親はすでに他界していて、弟がいると言う事だったが姿は見えなかった。親戚の方々が数人いたように思えたが、アンジェラには周りを冷静に見る余裕は全くなかった。
一通り挨拶は交わしたような気もするのだが、なにせ途中からほとんど記憶がないのだ。

クリスは披露宴が終了したら、そのまま新婚旅行に出掛けようと提案していた。
アップル・ゲートの屋敷を出て、ここまで来ただけでも大変な事なのに、旅行などとんでもない。
アンジェラは丁寧に、それは無理だと申し入れた。

クリスはアンジェラのその言葉に何の疑いも持つことなく、気遣いが足りなかったようだとかえって申し訳なさそうに謝ってきた程だ。
そんなクリスの言葉に、罪悪感で押しつぶされそうになる。
クリスはアンジェラが申し出たすべての条件をのんでくれた。もしも、この偽りの結婚が暴かれた時、クリスはどう思うのだろうか?そして、自分はどうなってしまうのだろうかと思うと、生きた心地がしない。

披露宴が終わると、アンジェラは新しい自分の部屋へ籠り、マーサに不安そうな顔を向けた。

マーサは着替えを手伝いながら、大丈夫ですよと何度も言って、アンジェラを落ち着かせていた。

マーサがアンジェラの気持ちを知って決意したのは、この結婚を推し進める事だった。
クリスが一点の曇りもなくアンジェラ自身を愛したのなら、秘密が露呈した時にもしかすると許されるかもしれないと期待したのだ。それはもう切望に近いのだが、マーサはもはやアンジェラの幸せの事しか考えてなかった。

この時代、男同士で愛し合うことは罪だった。それが世間に知られれば、どうなるのかは誰でも知っている事だ。
だから、マーサはアンジェラの傍でこの結婚が上手くいくように、そのすべてを捧げ仕えようと思ったのだ。

アンジェラの母は相変わらず、侯爵家の跡取りの男児を生むことを期待している。
アンジェラと離れたくないと、一緒についてくるのではと思っていたのだが、意外にもアップル・ゲートに残ると言った。会いたくなればいつでも会いに行くわと、のんびりとしていた。
母にとってアップル・ゲートは、父との思い出がたくさん詰まっている特別な場所なのだ。

結婚後、アンジェラとマーサが恐れているのが初夜だった。
もちろん、二人は男同士で何の行為も出来ないと思っていたからだ。
当分は避けられたとして、避けられない日がやって来る。拒み続ければ、それは離婚の原因となる。
二人はそうなるのは仕方ないと思い、とにかく避け続けなければならないと思った。

つづく


前へ<<(第一部17話 or 番外編4話 >>次へ



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花嫁の秘密 19 [花嫁の秘密]

結婚して一週間が過ぎた。
最後まで滞在していた、ソフィアもアップル・ゲートへと戻って行った。

「奥様、旦那様がお呼びです」
部屋の外でメイドの声がした。
アンジェラとマーサは飛び上がらんばかりに驚き、顔を見合わせると、マーサが目で大丈夫と合図した。
アンジェラはコクッと喉を鳴らすと、返事をしてクリスの待つ応接室へ向かった。

アンジェラが応接室へ入ると、クリスは笑顔で歩み寄り肩をそっと抱こうとした。
アンジェラは反射的にクリスの手から逃れてしまった。

「あ…あのっ…」

本当はその腕に抱きしめられたいと思うのに、まだ人前での行為に慣れることが出来ていない。
それに近寄れば近寄るほど、嘘を見抜かれそうで怖い。
クリスに抱きしめられると、すぐに身体が熱くなってしまう。
鼓動が早くなり、落ち着かない気がするのに、なぜか一番落ち着く。
こんな矛盾した感覚が理解できないけど、いつもそうなってしまうのだ。

クリスはアンジェラを抱こうとした手をそのままソファへと向けた。
「いいよ。さあ、座って」
やはり、クリスは優しい。顔色一つ変えず、嫌な顔一つ見せることない。
そんなクリスを騙していると思うと、胸が引き裂かれそうな思いになる。

アンジェラは気まずそうに俯きソファに腰をおろした。

「どう?落ち着いた?何か不自由はない?」
クリスは優しく微笑みアンジェラの顔を覗き見ようと首をかしげる。

「はい…皆さん良くしてくださいます」
アンジェラは微笑みを返した。

「そう、よかった。あ、の……アンジェラ――君のお兄さんが、君をハニーと呼んでいたけど……?」

「あの、わたしのニックネームです。わたしの髪の毛の色がはちみつ色だから、兄たちはハニーって呼ぶんです」

「私も、ハニーって呼んでもいいかい?」
クリスのその言葉にアンジェラの胸は高鳴り、頬は熱くなる。

「あの、はい」
真っ赤な顔をして返事をし、その顔を隠すように俯く。

このぎこちないやり取りを、部屋の隅で屋敷の執事とマーサが見守っていた。
執事の方は何を思っていたのかは分からないが、マーサはクリスに驚いていた。
あんなに熱列に求婚したかと思えば、結婚したあとにこんなにも自信がなさそうにアンジェラに対している。
今マーサの目に映るクリスは、社交界で女性の憧れの存在とは程遠かった。

その後もこのぎこちないティータイムが続いたあと、アンジェラはぐったりとしながら自室へ戻った。

「マーサ……侯爵様は、わたしにクリスと呼ぶようにおっしゃったけど……」
恥ずかしそうにはにかむアンジェラを、マーサは微笑ましそうに見つめた。

つづく


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花嫁の秘密 20 [花嫁の秘密]

暫くこのぎこちない日々が続いた。
クリスは実際アンジェラをどのように扱っていいのか、困っていた。
それは実年齢よりもずっと幼く見えるアンジェラが、初めて住み慣れた屋敷を離れ知らない土地へやって来て、クリスが想像できないほど不安に怯えていると思うからだ。

それにまだ結婚自体を受け入れてくれていないように感じる。
婚約期間中、いつ断られるかとビクビクしていた。いつ会ってもアンジェラは不安そうな顔で、結婚を喜んでいてくれているとは言い難かった。

結婚後、そのまま南フランスに一ヶ月ほど新婚旅行に行こうと計画していたが、アンジェラに丁重に断られる始末だ。
断る理由ももっともだが、クリスはまだ好きだとも愛しているとも言われていない。
それに、初夜もまだ済ませていないのだ。
なかなかベッドへ誘うタイミングが掴めないし、アンジェラの部屋へ行っても、マーサが立ちはだかり中へ入ることすらできない。

いや――この屋敷は自分のものなのだ、何を遠慮することがある?
そう思っても、アンジェラが不安がることは避けなければと思い、一歩を踏み出すことが出来ない。

結婚してからもその身体に触れることも出来ず、アンジェラへの気持ちは募るばかりだ。
あの綺麗なはちみつ色の髪がベッドに散る姿を早く見たい。ヘーゼルの瞳が自分を求めて輝き、愛らしい唇から漏れる吐息を感じたい。
そんな事を想像しただけで、クリスの下腹部に欲望が抑えきれないほど突き上げてくる。

しかし夫婦生活ももう少し落ち着かなければ無理だろう。
確かに結婚前に、夫婦生活については少し時間がかかるという様な事をさりげなくマーサに口にされたのだが、このままでは欲求がどんどん増していき、その時が来たらベッドの上で我を忘れてしまいそうだ。
アンジェラの望む通りにすべてしたのに、結婚を承諾した時の様なキスさえすることも出来ないなど思いもしなかった。それでもクリスはじっと我慢することにした。

それにクリスはここにずっといるわけにもいかない。
色々な方々から招待を受けているのだが、もちろんアンジェラを連れて行くことはできない。

クリスと仲の良い友人の一人――唯一結婚式に出席した友――オークロイド子爵アーサー・クラークとは毎年一緒に猟を楽しんでいる。
昨年はクリスがアンジェラへの求婚で忙しくしていたため、アーサーの領地を訪問する事は無かった。
アーサーは結婚という言葉すら耳にしたくないほどの独身主義者で、クリスの結婚も一応祝福したものの、いい選択だとは思ってなさそうだった。
新婚旅行へ行かないと決めたことで、夫婦揃ってオークロイド邸へ招かれている。もちろん新婚だから、無理にとは言わないが、とアーサーには言われたのだが。
クリスはこの招待に一人で応じようと考えていた。

本当は離れたくはないが、アンジェラがここでの生活に慣れるまでは、少し離れているくらいがいいのかもしれないとクリスは思っていたのだ。

つづく


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